2008年10月アーカイブ

三谷幸喜「ラヂオの時間」観た。すごく三谷幸喜らしい作品。時間が進むにつれてどんどんと話がとっ散らかっていき、すっかりとっ散らかり尽くしたところで綺麗にまとめあげる。カタルシス!すばらしいですなー。

そういえば、三谷幸喜がなんかの媒体で宮藤官九郎の脚本を褒めていたけれど、たしかにこのふたりの脚本には似た匂いを感じることがある。

ぼくはクドカン作品をそんなにたくさん見ているわけではないのだけれど、クドカン作品で一番「あー、三谷幸喜っぽいなー」と感じたのが、「木更津キャッツアイ」。あるキャラクタが何かをしている裏で別のキャラクタが別のことをしてて、別々に観るとすごくとっちらかっているのだけれど時間軸でまとめてその二つの線をつなげてみると、最後にすごく綺麗にまとまるっていう脚本の作り方は、三谷幸喜の作品に通じるところがあると思う。

ちなみにぼくが三谷作品で一番好きなのは、(映画じゃなくてドラマだけれど)「王様のレストラン」で、その中でも「奇跡の夜」という回がぼくは好きだ。これも、ひとりひとりで見るとバラバラにうごいているたくさんのキャラクタが、総体で観てみたらすごくきれいにまとまる、というパターンの回。「王様のレストラン」は本当におもしろいドラマなので、観たことない人は絶対観たほうがいい。

#完全に余談だが、脚本のすばらしさもさることながら、このドラマでの山口智子に、ぼくは萌え死んだ。3次元にも萌えって存在するんだぜ。

次は「12人の優しい日本人」を観ようかと思ってるんだけど、その前に「十二人の怒れる男」のほうを観ておきたい気もする。そういえば「十二人の怒れる男」は、いつだったか弘瀬氏が褒めてたな。早稲田祭が終わったらゲオで借りてきて観てみよう。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00142918.html

このニュースについて、友人がエントリを書いてたからぼくも自分の見解を書くよ。

高校生もたしかに幼稚かなーとは思うけれど、ぼくは橋下知事を支持しない。理由は二点。

橋下知事が、「自分で努力すればいいことなんじゃないですか?」ということを言っているけれど、これは正直言ってひどいとぼくは思う。このひと、「格差の再生産」って知ってるかな? たしかに、しっかり勉強すれば奨学金をもらうということもできる。けれど、親の経済状況によって、高度教育を受けやすいか層と、受けにくい層がいるのも事実。同等の教育を受けるために、奨学金をもらえるくらい努力しなければいけない人がいる一方で、そこまでの努力をしなくても経済的に余裕があるから同等の教育が受けられるひともいる。その「機会の不平等」を作り出しているのは、本人の努力ではなくて、親の経済状況。この「機会の不平等」を、「自己責任」としてしまうのは、一般論としてはともかく、為政者の姿勢として本当に正しいのだろうか? 橋下知事の受け答えは、この「機会の不平等」とか「格差の再生産」に対する問題意識がまったく感じられない。そういう問題をまるで知らないかのようだ。それってどうなのよ。ぼくは格差の再生産を「各自の努力でなんとかしてね」っていうスタンスで扱う為政者を支持しない。格差が生まれることはある程度しょうがないけれど、格差が再生産されるようなことは避けるべきだ。これがぼくが知事を支持しない理由の一点目。こちらについてはさまざまな立場があるだろうし、さまざまな反論があると思う。「もう十分に機会は与えている」とかね。

二点目。「国の仕組みがおかしいと思うなら、君が政治家になって変えなさい」ってやつ。これは為政者としては言ってはいけない言葉ではないかなあ。これ、事実上の意見の封殺ですよ。高校生は投票もできなければ立候補もできない。そういう権利は持ってない。だから、意見があったら声をあげるしかない。それなのに、そこで声を上げたら、「ふーん、そう思うんだったら自分が政治家になれば?」ですよ。これ、要は「政治家にもなれないし投票権もない高校生(のうち)は黙って為政者に従え」ってのを形変えて言っただけだよ。これはちょっと為政者が言っていい言葉じゃない。知事は「今日は大人として君たちを扱います」みたいなこと言ってるけど、彼らに大人としての権利を与えていないんだよ? それなのに、大人としての義務を課す。「自分が政治家になって世の中を変えろ」という発言に、そういういびつな力関係があるの、自覚してるのかな。高校生が「世の中を変えるのは私の仕事じゃない」と言っているけれど、これは圧倒的に正しい。だって、それだけの権限を委譲されてないんだからね(まああの高校生がそこまで考えて「私の仕事じゃない」と言ったのかはわかんないけど)。これはあきらかにフェアなやりかたじゃない。ぼくは、自分と意見の異なる高校生の声をこのようなやり方で封殺する為政者を支持することはできない。なんのための「意見交換会」? 投票という形で声をあげることのできない高校生の意見を聞くための場で、意見を封殺してどうするの。

一点目の機会の平等についてはいろんな意見があるだろうから、ぼくの考え方が正しいとは言わないけれど、二点目については明らかにフェアなやりかたじゃない。封殺するなら最初っから意見交換会なんて開くな。というわけで、ぼくはこの件について橋下知事を支持せず、批判するのです。

#ただ、「知事が高校生を泣かせた!」っていう報道もどうなのよ。小学生の学級会(二度とごめんだ)みたいな告発をするのがマスコミのお仕事ですか...。

アニメの秋ですね。

今期始まったアニメはまだいっこも消化してなかったんだけど、今日ようやく「とらドラ!」を三話までみたよ。ひとりでニヤニヤしてる俺きめぇwww。いまんとこ、櫛枝実乃梨が最強にかわいい。リトバスでもはるちんが最強だし、元気っ子最強すぎだろ。こう、ああいう明るいキャラクタには、自分が高校のころに失った何かを見出してしまうよね。ていうか、やっぱり元気な女の子にはあこがれるよね。暗い男子としては。あーはやく二次元に帰りたいぜ。そして一応メインヒロインにも言及しとくけど、大河は、アレだよね。分かりやすく釘宮だよね。またツンデレか。

あと、「とある魔術の禁書目録」も一話だけ見た。魔法モノはあんま好きじゃないんだよなー。あと、主人公のラノベ体質がむかつく(「不幸だ」が口癖とか)。あと、なにあの髪型。ツンツンしすぎ。アホか。とか言いつつ多分一応この先もしばらくチェックするんだと思う。だってあのビリビリ中学生かわいいし(そんなんばっかり)。

ところで、今やってるアニメって、一般的な一押しはなんなんでしょうね。鉄腕バーディー?

ぼくが通っていた大学の図書館の近くに、「ノストス」という名前のバーがある。ぼくが(たしか)大学3年のころからその店にはお世話になっていて、今でもたまにひとりで飲みに行ったり、学生の頃の友人と飲みに行ったりしている。

その店は、大学のすぐ近くにあるとは思えないくらいに落ち着いた雰囲気のお店で、BGMも小さな音量(しかもそのセンスが良い。たいていはアンビエント系やモータウン系、たまにブルーアイドソウルなど)だし、うるさい学生もいないという、ぼくにとっては本当に落ち着く事のできる素敵な店なのだ。

で、今日も例によってノストスでひとりで飲んでいたのだけれど(今日のBGMはブライアン・イーノだった)、マスターと話していて、最近のその店の客層の話題になった。マスターいわく、最近そのお店は大学の教授たちの溜まり場になっているらしい。「うるさい学生がいないような店を作ってたら、教授が来るようになっちゃったよ」とマスターは笑って話していたけれど、その話の中で、教授たちがその店で理事長選挙の打ち合わせやらなんやらをしていることを話してくれた。マスターは「いやー、大学の政治怖いよー」なんて笑って話していたけれど、ぼくにとって、そのニュースは少しだけ残念なものだった。

もちろん、ただの客であるぼくに、その店のほかの客を選ぶ権利はない。だけど、やっぱり、大学生活の後半を過ごした(そしてそのあとも大学の友人たちと集まっている)バーが、そういう政治の場に利用されることは、なんだか寂しい気持ちになってしまうのだ。ものすごくばからしい感傷ではあるのだけれど。

結局今日は、マスターと御茶ノ水にある貸しレコード屋「ジャニス」の話をしているとき(余談だが、マスター夫妻は最近ジャニスの近くに引っ越したらしい。少しうらやましい)、教育学部の教授と思しき人物が入ってきて、大学(内政治)の話を始めた。そんなわけで、ぼくは手元に残っていたウィスキー(ハイランドパーク。シングルモルト。おいしいよ)のグラスが空いたタイミングで、その店を出てきてしまった(ちなみに今日飲んだお酒の内訳は、ペルノをロックで一杯、なんだか忘れたけどすっきりした味のシェリーを一杯、ハイランドパークをロックで一杯。今は部屋で洗濯をまわしながら、イェーガーマイスターをストレートで飲んでいる)。

それでも結局、ぼくはノストスが好きだし(おいしいお酒が結構リーズナブルな価格で飲めるしね)、これからも通い続けるのだろうとは思うけれど。

ところで、話は変わるけれど、その店で飲んだあと、ぼくはたいてい新目白通りを歩いて家まで帰ってくる。新目白通りは西武新宿線と平行して走っていて、そこを歩いていると、埼玉方面から新宿へ向かう西武線の電車と何度かすれ違う。夜の新目白通りは決して明るいわけではなく(暗くもないけれど)、電車とすれ違うたびにその車内が明るく光っているのがよく見える。そして、夜の新宿行きの西武線の中はガラガラに空いていて、ほとんど誰も乗っていない電車の中がほんの短い間だけ見える、そんな帰り道がぼくは結構好きだ。

うーん、なんだか、勘違いしてる大学1年生(文化系、しかも写真とかデザイン系のサークル所属)が書いたような文章だ。ま、たまにはこういうのもアリでしょ。というエクスキューズを最後に挿入するあたりのセルフ・コンシャスの高さと、自己愛のこじらせかたが、とってもぼくらしいと自分で思う。そんなこと思ってるあたりも重症。どうしよーもねーなー。

「悪人に人権はない」。はい、みんな大好きリナ・インバースの名言ですね。え? リナ・インバース知らない? 小学校で習ったでしょ。しょうがないなあ。Wikipediaの説明を置いておきますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%8A%EF%BC%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9

今日はこの言葉について書いておきたいと思います。実はこの「悪人に人権はない」という言葉、手を替え品を替え、この三次元においても声高に主張されているんですね。いわく、「通り魔するやつに人権なんてねぇよ!なんで警官はあいつを射殺しなかったんだよ!」だとか、さらにひどいのだと、「ワーキングプア? ネカフェ難民? 自己責任だろ。そんなやつらの生活を保護してやる必要も余地もねえよ。普通に生活してればなれるなずの正社員様になれないとか、どんだけ甘えてんだよ」だとか。前者のような意見はさすがに公的に場で発言する馬鹿野郎は少ないようですが、後者のような発言はよく聞きますね。こういう発言を聞くたびに、公民教育の機能してなさに絶望的な気持ちになりますね。

はい、では、人権についておさらいしておきましょう。基本的人権とは何か、といえば、まあ、日本で教育を受けている以上ちゃんと説明できないとまずいレベルの概念ですが、これは、「人間として生まれたからには、自明のものとして持っている権利」のことですね。そうです。「自明のものとして」持っている権利なんです。

それを考えると、「通り魔」であろうと、「ワーキングプア」であろうと、あるいは「ダメ人間代表、猫型脱穀機(shinpei)」であろうと、どんなクズ野郎であろうと、人間である限り、持っている権利なんです。ちょっと前にはてな界隈で「ホームレスにも人権がある以上、健康で文化的な生活を営めるように支援しなければいけないことは自明」って意見に対して「人権っていつから信仰になったの?ていうか人権が自明っていつからそうなったの?」みたいな意見も出てたんですが、人権という概念自体に、「人権はだれもが自明に持ってるものだよ」っていう意味が入ってるんです。

で、冒頭の話にもどると、だから、「悪人に人権はない」は間違い、というか、矛盾してるわけですね。悪人にも等しく与えられるものこそが人権なわけですから。たった8字の中に矛盾を詰め込むあたりはさすがリナ・インバースといったところですね。かっこいいです。「悪人に人権はない」というのを矛盾なく正しく言い直すと、「すべての人間に対して人権なんて認めない!」になるわけです。わお! 過激!

でも、小中学生じゃあるまいし、「なるほど、人権って自明だったのか」ってそんなところで満足してたらつまんないので、もうちょっとつっこんだお話をします。

さっきまでの話を覆すようなことを言っちゃうけど、実は、人権って、自明ではないんですね。いや、正しくは、自明ではないからこそ、自明であると宣言することができるわけです。はい、意味がわかりません。もうちょっと詳しく説明します。

みなさんは、「自明」という言葉って、詐欺みたいだと思いませんか? だって、字からして、「自(おの)ずから明らかである」ですよ。

普通、物事が正しいことを説明するときには、「ええっと、Aという前提がまず正しくて、てことはAから導かれるBという結論は正しいな。よしよし」てな感じで、「自分以外の前提の正しさ」を担保にして、ようやく自分が正しいと言えるわけです。でも「自明」ってのは、「自分ってぇ、まぁ、自分的には正しいじゃないですかぁ。だって正しいじゃないですかぁ」と、自分で勝手に自分を正しいと言いきっちゃってるわけです。これ、普通に考えたら詐欺ですよね。なんの論理的な正しさもない。むかつく。しんだほうがいい。

それを考えると、「人権は自明」って言葉には、実は根拠もなにもないんですよ。だって、仮に根拠があったらそれは「Aという前提(根拠)から明らかである」ってことで、それはむしろ「他明」とでも呼ぶべきものですよね。だから、こうやって考える限り、あらゆる「自明」は詐欺なんです。正しさを証明するためには「すでに正しいとわかっている前提」から導かなきゃいけないわけで。

じゃあ、「自明」って言葉は矛盾だらけで無意味なのか、って話になるんだけど、そういうわけでもないんですね。でも、それを説明するためには、ちょっと回り道して、「事実確認的」な言葉と、「行為遂行的」な言葉の違いについて、まず説明しなきゃいけないんです。ちょっとむずかしい言葉が出てきたので、例で説明しますね。

事実確認的な言葉(なんか気取った人たちは「コンスタティブな言葉」とか言ってかっこつけてるらしいよ!ウゼー!)ってのは、要するに、すでに存在している事実を説明するタイプの言葉のことで、たとえば、「空は青い」とか、「地球は丸い」ってのがそう。その言葉を発語する前から、厳然たる事実としてあることを、説明する言葉のことね。

一方、「行為遂行的」(気どったやつらは「パフォーマティブ」とか言ってかっこつけてるらしいよ。ウゼー!)ってどんなのかって言うと、これは「発語することによって新しい事実が生まれる」タイプの言葉なのね。例を挙げると、たとえば「名づけ」。たとえば、ある人に子供が生まれたときに、「この子の名前は風子だ」って発言するとするよね。その言葉を発語する前まで、「その子が風子である」っていう事実はなかったんだけど、名づけ親がそう発語することによって、「その子が風子である」っていう事実が初めて生まれたわけ。こういう、「発語することによって新しい事実を作る」っていうタイプの言葉を、「行為遂行的」って言うんですね。OK?

勘のいいひとはもうとっくにぼくが何を言いたいかわかったと思うんだけど、そう、「自明」っていう言葉は、実は、「行為遂行的」な言葉だと考えるとしっくりくるんですね。

事実確認的に「自明」という言葉を考える場合、「いやいやいや、あんたが勝手に明らかって言ってるだけでしょ」ってことになっちゃうんだけど、「自明」という言葉を、「この概念を自明とする」という宣言(=行為遂行的な発語)としてとらえれば、なるほど、筋は通ってるよね。数学でいうところの「公理」みたいなもんかな。定理ってのは事実確認的(だから証明が必要だよね)だけど、公理ってのは行為遂行的(証明は必要ない。というかできない)なわけだ。

大事なことだからもう一回言うよ。「これは自明」という言葉は、「これは自明であるという事実」を説明することばではなくて(だってそれは矛盾だもの)、「これを自明とする」という宣言なわけだ。

で、ようやく人権の話に戻るんだけど、だから「人権は自明」ってのは、事実確認的には「嘘」なんだけど、それは「行為遂行的な」「宣言」である、と読み取るべきなんだね。その意味で、「人権は自明」という命題にたいして、「正しい」とか「正しくない」とか言うのはとってもナンセンス。「公理」について「正しい」「正しくない」とか言うのがナンセンスであるようにね。

だから、「自明な人権」について何か判断をするときには、それが「正しいか」という評価軸ではなくて、「有効か」「有効でないか」を語るべきだとぼくは思う。虚数の公理が、「数学について有効である」のと同じようにね。

ちょっとはずかしいけれど、最近つじあやのなんか聴いてる。

アレンジャーが結構豪華だったり(DSLの根岸さんとか。Coccoのプロデュースとかしてるひと)、楽曲自体も結構よかったりと、決して馬鹿にできないひとだよなーとは前々から思ってはいたのだけれど、あのとらえどころのない、ふわふわとした歌い方があまり好きではなく、今まであんまり聴いていなかった。でも、ちょっと前(といっても1か月半くらい前か?)に「よいしょ」って感じでちょっと気合を入れてベスト盤を借りてきて聴いてみた。

印象、変わりました。いや、楽曲の良さとか、アレンジの確かさとかはまあ想像通りの感じで非常によかったのだけれど、彼女の「歌」に対する印象が変わった。前述のとおり「なんだふわふわと歌いやがって」みたいに思っていたのだけれど、アルバムを一枚通して聞いてみると、かなり「芯」のある声だということに気づく。「声量低そうな歌い方だよなー」とか思ってたけど、そんなことないっぽいな。かなり芯が強くて、でもやわらかいという、不思議な歌いかたで、ちょっと癖になる。ギターでたとえると、劣悪なギターはトーンを絞ると「もこもこ」しただけの、聴けたもんじゃないような音になるんだけど、いいギターはトーンをしぼってやわらかい音にしてもちゃんと芯が残ってきちんと抜けてくる感じがある。まさにそんな感じの声。

あと、なんかよくわかんないけどウクレレなのな。ウクレレにこだわるあたりに頑固さを感じる。その頑固さが声の芯の強さと一緒になって、結構おもしろいじゃんつじあやの。今まで「ふわふわ歌いやがって」とか思っててごめんなさい。この、「第一印象はやわらかいんだけど実はすっごい芯があって頑固」って感じ、ぼくは好きです。聴かず嫌いしてるひとは一度アルバム通して聴いてみると印象かわるかも。槇原に通じる頑固ポップさというか。まぁ槇原ほどのアレンジ力はないが。結構いいよつじあやの。


ところで、話はかなり変わるのだけれど、どうやら風邪をひいたっぽい。のどいたい。 gerry++。gerryになりやすい体質なので、つらい。

今日はしょうが湯飲んで寝よう。

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都内在住プログラマ。男子。

id:shinpei0213 / HN:猫型脱穀機

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