「悪人に人権はない」問題

「悪人に人権はない」。はい、みんな大好きリナ・インバースの名言ですね。え? リナ・インバース知らない? 小学校で習ったでしょ。しょうがないなあ。Wikipediaの説明を置いておきますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%8A%EF%BC%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9

今日はこの言葉について書いておきたいと思います。実はこの「悪人に人権はない」という言葉、手を替え品を替え、この三次元においても声高に主張されているんですね。いわく、「通り魔するやつに人権なんてねぇよ!なんで警官はあいつを射殺しなかったんだよ!」だとか、さらにひどいのだと、「ワーキングプア? ネカフェ難民? 自己責任だろ。そんなやつらの生活を保護してやる必要も余地もねえよ。普通に生活してればなれるなずの正社員様になれないとか、どんだけ甘えてんだよ」だとか。前者のような意見はさすがに公的に場で発言する馬鹿野郎は少ないようですが、後者のような発言はよく聞きますね。こういう発言を聞くたびに、公民教育の機能してなさに絶望的な気持ちになりますね。

はい、では、人権についておさらいしておきましょう。基本的人権とは何か、といえば、まあ、日本で教育を受けている以上ちゃんと説明できないとまずいレベルの概念ですが、これは、「人間として生まれたからには、自明のものとして持っている権利」のことですね。そうです。「自明のものとして」持っている権利なんです。

それを考えると、「通り魔」であろうと、「ワーキングプア」であろうと、あるいは「ダメ人間代表、猫型脱穀機(shinpei)」であろうと、どんなクズ野郎であろうと、人間である限り、持っている権利なんです。ちょっと前にはてな界隈で「ホームレスにも人権がある以上、健康で文化的な生活を営めるように支援しなければいけないことは自明」って意見に対して「人権っていつから信仰になったの?ていうか人権が自明っていつからそうなったの?」みたいな意見も出てたんですが、人権という概念自体に、「人権はだれもが自明に持ってるものだよ」っていう意味が入ってるんです。

で、冒頭の話にもどると、だから、「悪人に人権はない」は間違い、というか、矛盾してるわけですね。悪人にも等しく与えられるものこそが人権なわけですから。たった8字の中に矛盾を詰め込むあたりはさすがリナ・インバースといったところですね。かっこいいです。「悪人に人権はない」というのを矛盾なく正しく言い直すと、「すべての人間に対して人権なんて認めない!」になるわけです。わお! 過激!

でも、小中学生じゃあるまいし、「なるほど、人権って自明だったのか」ってそんなところで満足してたらつまんないので、もうちょっとつっこんだお話をします。

さっきまでの話を覆すようなことを言っちゃうけど、実は、人権って、自明ではないんですね。いや、正しくは、自明ではないからこそ、自明であると宣言することができるわけです。はい、意味がわかりません。もうちょっと詳しく説明します。

みなさんは、「自明」という言葉って、詐欺みたいだと思いませんか? だって、字からして、「自(おの)ずから明らかである」ですよ。

普通、物事が正しいことを説明するときには、「ええっと、Aという前提がまず正しくて、てことはAから導かれるBという結論は正しいな。よしよし」てな感じで、「自分以外の前提の正しさ」を担保にして、ようやく自分が正しいと言えるわけです。でも「自明」ってのは、「自分ってぇ、まぁ、自分的には正しいじゃないですかぁ。だって正しいじゃないですかぁ」と、自分で勝手に自分を正しいと言いきっちゃってるわけです。これ、普通に考えたら詐欺ですよね。なんの論理的な正しさもない。むかつく。しんだほうがいい。

それを考えると、「人権は自明」って言葉には、実は根拠もなにもないんですよ。だって、仮に根拠があったらそれは「Aという前提(根拠)から明らかである」ってことで、それはむしろ「他明」とでも呼ぶべきものですよね。だから、こうやって考える限り、あらゆる「自明」は詐欺なんです。正しさを証明するためには「すでに正しいとわかっている前提」から導かなきゃいけないわけで。

じゃあ、「自明」って言葉は矛盾だらけで無意味なのか、って話になるんだけど、そういうわけでもないんですね。でも、それを説明するためには、ちょっと回り道して、「事実確認的」な言葉と、「行為遂行的」な言葉の違いについて、まず説明しなきゃいけないんです。ちょっとむずかしい言葉が出てきたので、例で説明しますね。

事実確認的な言葉(なんか気取った人たちは「コンスタティブな言葉」とか言ってかっこつけてるらしいよ!ウゼー!)ってのは、要するに、すでに存在している事実を説明するタイプの言葉のことで、たとえば、「空は青い」とか、「地球は丸い」ってのがそう。その言葉を発語する前から、厳然たる事実としてあることを、説明する言葉のことね。

一方、「行為遂行的」(気どったやつらは「パフォーマティブ」とか言ってかっこつけてるらしいよ。ウゼー!)ってどんなのかって言うと、これは「発語することによって新しい事実が生まれる」タイプの言葉なのね。例を挙げると、たとえば「名づけ」。たとえば、ある人に子供が生まれたときに、「この子の名前は風子だ」って発言するとするよね。その言葉を発語する前まで、「その子が風子である」っていう事実はなかったんだけど、名づけ親がそう発語することによって、「その子が風子である」っていう事実が初めて生まれたわけ。こういう、「発語することによって新しい事実を作る」っていうタイプの言葉を、「行為遂行的」って言うんですね。OK?

勘のいいひとはもうとっくにぼくが何を言いたいかわかったと思うんだけど、そう、「自明」っていう言葉は、実は、「行為遂行的」な言葉だと考えるとしっくりくるんですね。

事実確認的に「自明」という言葉を考える場合、「いやいやいや、あんたが勝手に明らかって言ってるだけでしょ」ってことになっちゃうんだけど、「自明」という言葉を、「この概念を自明とする」という宣言(=行為遂行的な発語)としてとらえれば、なるほど、筋は通ってるよね。数学でいうところの「公理」みたいなもんかな。定理ってのは事実確認的(だから証明が必要だよね)だけど、公理ってのは行為遂行的(証明は必要ない。というかできない)なわけだ。

大事なことだからもう一回言うよ。「これは自明」という言葉は、「これは自明であるという事実」を説明することばではなくて(だってそれは矛盾だもの)、「これを自明とする」という宣言なわけだ。

で、ようやく人権の話に戻るんだけど、だから「人権は自明」ってのは、事実確認的には「嘘」なんだけど、それは「行為遂行的な」「宣言」である、と読み取るべきなんだね。その意味で、「人権は自明」という命題にたいして、「正しい」とか「正しくない」とか言うのはとってもナンセンス。「公理」について「正しい」「正しくない」とか言うのがナンセンスであるようにね。

だから、「自明な人権」について何か判断をするときには、それが「正しいか」という評価軸ではなくて、「有効か」「有効でないか」を語るべきだとぼくは思う。虚数の公理が、「数学について有効である」のと同じようにね。

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都内在住プログラマ。男子。

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