ぼくが通っていた大学の図書館の近くに、「ノストス」という名前のバーがある。ぼくが(たしか)大学3年のころからその店にはお世話になっていて、今でもたまにひとりで飲みに行ったり、学生の頃の友人と飲みに行ったりしている。
その店は、大学のすぐ近くにあるとは思えないくらいに落ち着いた雰囲気のお店で、BGMも小さな音量(しかもそのセンスが良い。たいていはアンビエント系やモータウン系、たまにブルーアイドソウルなど)だし、うるさい学生もいないという、ぼくにとっては本当に落ち着く事のできる素敵な店なのだ。
で、今日も例によってノストスでひとりで飲んでいたのだけれど(今日のBGMはブライアン・イーノだった)、マスターと話していて、最近のその店の客層の話題になった。マスターいわく、最近そのお店は大学の教授たちの溜まり場になっているらしい。「うるさい学生がいないような店を作ってたら、教授が来るようになっちゃったよ」とマスターは笑って話していたけれど、その話の中で、教授たちがその店で理事長選挙の打ち合わせやらなんやらをしていることを話してくれた。マスターは「いやー、大学の政治怖いよー」なんて笑って話していたけれど、ぼくにとって、そのニュースは少しだけ残念なものだった。
もちろん、ただの客であるぼくに、その店のほかの客を選ぶ権利はない。だけど、やっぱり、大学生活の後半を過ごした(そしてそのあとも大学の友人たちと集まっている)バーが、そういう政治の場に利用されることは、なんだか寂しい気持ちになってしまうのだ。ものすごくばからしい感傷ではあるのだけれど。
結局今日は、マスターと御茶ノ水にある貸しレコード屋「ジャニス」の話をしているとき(余談だが、マスター夫妻は最近ジャニスの近くに引っ越したらしい。少しうらやましい)、教育学部の教授と思しき人物が入ってきて、大学(内政治)の話を始めた。そんなわけで、ぼくは手元に残っていたウィスキー(ハイランドパーク。シングルモルト。おいしいよ)のグラスが空いたタイミングで、その店を出てきてしまった(ちなみに今日飲んだお酒の内訳は、ペルノをロックで一杯、なんだか忘れたけどすっきりした味のシェリーを一杯、ハイランドパークをロックで一杯。今は部屋で洗濯をまわしながら、イェーガーマイスターをストレートで飲んでいる)。
それでも結局、ぼくはノストスが好きだし(おいしいお酒が結構リーズナブルな価格で飲めるしね)、これからも通い続けるのだろうとは思うけれど。
ところで、話は変わるけれど、その店で飲んだあと、ぼくはたいてい新目白通りを歩いて家まで帰ってくる。新目白通りは西武新宿線と平行して走っていて、そこを歩いていると、埼玉方面から新宿へ向かう西武線の電車と何度かすれ違う。夜の新目白通りは決して明るいわけではなく(暗くもないけれど)、電車とすれ違うたびにその車内が明るく光っているのがよく見える。そして、夜の新宿行きの西武線の中はガラガラに空いていて、ほとんど誰も乗っていない電車の中がほんの短い間だけ見える、そんな帰り道がぼくは結構好きだ。
うーん、なんだか、勘違いしてる大学1年生(文化系、しかも写真とかデザイン系のサークル所属)が書いたような文章だ。ま、たまにはこういうのもアリでしょ。というエクスキューズを最後に挿入するあたりのセルフ・コンシャスの高さと、自己愛のこじらせかたが、とってもぼくらしいと自分で思う。そんなこと思ってるあたりも重症。どうしよーもねーなー。
自分大好き!!…すごくイイ事だと思います。
「どうしようもねぇ…」って自分で分かってはいるんだけれども、実の所…妙に幸せな気分だったりしませんか?
ぬまっち
そういう精神構造がどうしようもないと言っているのさー。