いまさらな話題ですが、「かんなぎ」って漫画で、ヒロインが非処女(中古品、と表現するらしい。非常に不愉快な表現である)であったということが明かされて、それに対して一部のファンがマジ切れしてるっていうじゃないですか。何が本気でわかんないのかと言うと、これがネタとしての行為なのかマジの行為なのか。と言ってみたところで、ことの本質はこれがネタなのかマジなのかということにはないな、ということに気付いた。というのは、仮にネタでやっているとしても、「そのネタを行う自分」が獲得するキャラクタ性がなにかあるわけで、ということはつまりネタであれマジであれ、ヒロインが非処女であるか処女であるかということが、この手のフィクションにとって重要な関心ごとだということには変わらない。
ぼくは、この理由がまったくわからない。
いや、ぼくも一応人並みに嫉妬心というものは持ち合わせているので、好きな女の子がほかの男の子に抱かれているところを想像したらそれなりに不愉快にはなるし、「ちくしょう」とも思わないわけではないのだけれど、それはむしろ「嫉妬」という醜い感情の部類であって、それを持って「中古品め!」などと言って相手を攻める気にはまったくならない。
嫉妬することと、非難することの間には、かなり大きな断絶がある。相手が非処女だったことによって、嫉妬の感情が生まれるのはまだ分かるのだけれど、そこから相手を「中古品」などと言って罵る理路は、いったいどうなっているのだろう。この精神構造に、ぼくは結構興味がある。この精神構造について、何かオススメの参考文書(書籍、web等媒体は問いません)やサンプルなどがあれば、ぜひ教えて欲しい。あるいはあなたのコメントでもかまいませんが。
postしようとした瞬間ふと思いついたので書いておく。もしかして、こういうことだろうか。
彼らにとって、二次元というのは自分の願望がすべてかない、自分にとって苦しいことは何もない世界であるべきなのだろうか。もしも彼らが、二次元にそういうユートピアを求めているのであれば、理由は簡単だ。自分の好きなキャラが、自分(あるいは自己を投影している主人公)意外とくっついてしまうことは、自分に嫉妬心という苦しい気持ちを感じさせる。ユートピアであるべき二次元で、そんな苦しい思いをさせるなんて、何事だ!!!!という怒り。
しかし、もしもそうだとしたら、彼らにとっての二次元は、なんて奥行きのない、ディストピアすれすれのものであることだろう。ぼくはそういう物語を、決して表現とは呼ばない。呼びたくない。それは表現ではなくて、「集団オナニー」っていうんだよ。そもそも、大好きな世界観やキャラクタが、そんな「うすっぺらい」ものでも満足できるとしたら、あんたの漫画やアニメに対する愛ってそんなもんですか?って感じだしな。
# ところで、隠喩ではなく実際にパフォーマンスとして「集団オナニー」を新宿あたりでやったら、それは表現として値すると思う。かなりの批評性もあり、おもしろい表現かもしれないなぁ。
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