ヘタリアとかエスニックジョークとか

ヘタリア、話題ですね。一応読んだ。一言で言えばエスニックジョークの類。

エスニックジョークについて、ぼくの立場は「一概に批判できないが、よっぽど注意深い表現以外は公的に表現すべきことではない」という立場だ。

エスニックジョークなどの、「ネガティブな性質やステロタイプ」を基本に据えたジョークが成立するには、少なくとも発し手と受け手の間に信頼関係がなりなっていることや、そこに差別意識がないということを丁寧に表現することが必要条件だ。端的に言えば、初対面の外国人と「このイエローモンキー!」「うるせえこのニガー!」と言い合うのと、信頼しあっている友人同士が「このイエローモンキー!」「うるせえこのニガー!」と言うのでは意味合いがぜんぜん違う、という感じ。

信頼関係がきちんと築けている間柄では、差別用語は親愛の意味にも変わる。だから、言葉狩り的にエスニックジョークや差別的な言葉を含んだジョークを「悪」とする必要もないし、少なくともそれが肯定的な効果を持つことがあることをぼくは認める。

一方で、エスニックジョークに代表されるこういう差別的なジョークが、相当の信頼関係や、慎重な運用を求められるものだということをきちんと十分に理解する必要は、あると思う。自分が言っているジョークが、見方によっては非常に差別的で、侮蔑的なものであるということをきちんと把握して、それがある種「危険な」ものであることもきちんと意識すべきだ。

その意味で、ぼくは「サウスパーク」や「絶望先生」を高く評価する。サウスパークなんかモロにエスニックジョーク丸出しだし、絶望先生も相当に差別的なネタを多く含んだ作品だ。ただ、サウスパークがすごいと思うのが、「すべてに等しく差別的」になっていたり、自分のネタの「危険さ」にものすごく自覚的で、「あえてステロタイプを描いているけれど、差別意識はありませんよ」というシグナルをきちんと入れている。そのバランス感覚はさすが「アメリカ」だな、という感じではある。それに比べると絶望先生はちょっと「ネチズン」に媚びすぎな感じで、位置的には多分左翼にあたるぼくから見ると、ひどく程度の低い差別的ジョークに見えるものも散見されるのだけれど、基本的にはやはり自分のネタの「危険さ」について、かなり自覚的に書かれているとぼくは思う。

さて、問題のヘタリアだけれど、ぼくはちょっと評価できない。というのは、少なくともヘタリアからは、「結構やばいジョークだよな、これ」という自覚が(ぼくには)まったく見えてこない。「え、かわいく(かっこよく)好意的に描いてるからいいじゃん」くらいの、ものすごく「素朴な」感覚しか感じられなくて、自分のエスニックジョークの差別性に無頓着に見える。そういうところは、批判されて然るべきだと、ぼくは思う。

エスニックジョークや差別的ジョークは、「それがジョークであること」によって差別性が許容されたりは決してしない。そのジョークに少しでも語り手の差別意識がにじみ出ていれば、それはジョークでもなんでもなく、だたの質の悪い差別発言だ。いや、「いやいや、これジョークじゃん空気読めねーな」みたいな抑圧を伴って被差別者の発言をあらかじめ封殺してしまうあたり、ただの差別発言よりも性質が悪い、とぼくは思う。ちなみに、親しい仲での差別用語が差別発言にあたらないのは、あらかじめ互いに「こいつに差別意識はない」という了解が取れているから。逆に、いつも差別的な発言をしている人間に対してはちょっとしたジョークにも差別的な意図が汲み取られてしまうだろうね。

ヘタリアの騒ぎとか友人がmixiで書いた日記とか、ちょっと最近立て続けにこの手のジョークについて考える機会があったので。エスニックジョークの類は、本当に難しいものだと思う。素人が手を出すと火傷するよなー。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://d.paycle.net/mt/mt-tb.cgi/55

コメントする

author

都内在住プログラマ。男子。

id:shinpei0213 / HN:猫型脱穀機

アーカイブ