はい、小沢健二にかこつけたうざい自分語りが始まるよー!嫌いな人は今すぐゴーバック!
中二病ぽくて非常に恥ずかしいのだけれど、上に挙げた三人は、ぼくが人格を形成するにあたって強すぎる影響を与えた人(キャラクタ)だ。
以前小沢健二の2万字インタビューへリンクを貼ったことがあるが、再掲する。
この小沢から、ぼくは彼の寂しさを感じてしまう。小沢が何度も「だから小山田に『嫌いだった』って言われると傷つくんだけど」と言っているのを見て、「たぶんN子ちゃんの代わりに現れたのは小山田だったと思うんだけど」と言っているのを見て、彼にとって小山田の存在がどれだけ救いになっていたのかということを考えざるを得ない。
小沢はフリッパーズの頃に、何度も「本当のことなんて何もない」「ぼくが言っているのは全部でたらめ」というような歌詞を書いているし、一枚目では「those golden words well-tried i wonder why my tongue is tied i don't care if you call it prayer or fate」という歌詞も書いている。自分の、あるいは世界のどこかに「本当のこと」があることを感じながらも、それにアクセスできない不能感のようなものをここから感じる。そんな感じ方をしている人間はたぶん、「本当の友達」というものに対してもある種アンビバレンツな感情を持っているんじゃないかとぼくは思う。その感情は多分「本当のこと」に微塵も興味を持たないようなクラスメイトに対する苛立ちとなったりするだろう。そんな中で、「本当のことを知りたくて嘘っぱちの中旅に出る(ドルフィン・ソングより)」感覚を共有できたのが、小山田圭吾だったのではないだろうか。ぼくの想像ではあるけれど、小沢にとって小山田は一時期、本当の救いとして機能していたのだと思う。
でも、その小山田とも喧嘩別れしてしまった小沢の、ものすごい寂しさと、「結局ひとりなんだ」という諦めから来る一種の躁っぽさみたいなものを、ぼくは小沢の書く詩と、このインタビューからどうしても感じてしまうのだ。
ところで、「本当のこと」や「本当の関係」を狂おしいほどに希求しながらも、どうしてもそこにアクセスできない、その苛立ちから周囲を過剰に否定したり過剰におどけてしまう(王子様としての小沢健二の完成度とやけっぱち加減よ!)という病理(これはもはや病理と呼んでいいと思う)を抱えたキャラクターといえば、「ライ麦」のホールデンなんかもその類型だと言えるし、太宰にもそういう傾向があるとぼくは思う。そして、彼らは全員が、その苛立ちをなんらかの方法で外に向かって叫んでいる。そして多分その叫びは、似たような寂しさや苛立ちを感じているひとに、「すとん」と届くんだと思う。
少なくともぼくはそうだった。小沢も、太宰も、ホールデンも、ぼくにとっては救いだった。それは本当のことだ。でも、ぼくはどうしても思わずにいられない。「ぼくを救ってくれた彼らを救う人たちはだれなんだろう?」太宰は死んだ。サリンジャーは引きこもった。では、小沢は?
小沢は今行っている運動(反グローバリズムとか)に対するストイックさを見るに、多分小沢が見ている「本当のこと」は、その運動の先にあるのだろう。ぼくの政治的な立場はエコ活動や反グローバリズムに近いところにあるわけだけれど、それでも、ぼくは小沢の「運動の仕方」を見るに、「正義(や本当のこと)を求めるあまり排他的になる」という構造を見てしまう。そしてその先に本当に救いはあるのだろうか? 「本当のこと」を求めすぎてしまう気持ちの先には、どうしても喪失しかないようにぼくは思ってしまうのだ。それこそ、福田章二が『喪失』で鮮やかに描いたように。
関連エントリ
http://art.way-nifty.com/ysk/2007/12/post_f778.html
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090317/1237292418
あと小沢の元ネタ集もついでに再掲しとく。
http://d.paycle.net/log/2009/03/betty-wright5bokker-t-the-mgs.html
本当のことを求めている自分が本当なのだったら
それ以外の人間は本当ではなくなってしまう。
まお
本当のことを求めるあまり排他的になってしまうって、まさにそういうことだと思う。ほんとにぼくもそれは同感だなあ。
学生運動の内ゲバなんかにもその構造があるのではないかとぼくは思うのだけれど。
少し話はずれるのだけど、この行き止まりから逃げる方法を書いたのが庄司薫だとぼくは思うんだよね。
ただ、理屈としてそれがわかっていても「本当のこと」を求めないと満たされないようなひとにとって、救いはどこにあるんだろう、というエントリーかな、これは。
ぼくについて言えば人間関係ですでに「満たされて」しまったから、行き止まりからは庄司薫メソッドでなんとか逃げまくってますが。
こんにちは。ラジオで小沢健二の曲を誰かがカバーしてるのを聞いて、ふと気になり図書館でCDや「うさぎ!」の連載してる季刊誌「子どもと昔話」を借りたりこうしてネット検索しています。
私はブログで彼について語っている皆さんのようなコアなファンではなく、ちょうど子育てがひと段落して音楽を聴く余裕ができた頃丁度ヒットしていた「LIFE」以降の3枚のアルバムを買って聞いていました。
一方で1999年ごろから3年ほど、小沢俊夫さんの主催する「昔話大学」を受講(年に2回開催)した際,オザケンの父親であると知ってびっくり。NYの9.11テロの後、「健二さんどうしてますか?」などとミーハーに尋ねると「電話で話したが元気にしているようだ…」とおっしゃっていたのを記憶しています。
また心理学者である小沢牧子さん(母)の著書「『心の専門家』はいらない」なども読んでいるのですが、お二人ともそれぞれの立場で「今」に警鐘をならしている方たちなので、この親にしてこの子あり、とオザケンが今のような活動に至ったのは私は頷けるます。20000字のインタビューを読んで、改めてCD聴いてみて
感じました。
ブログにコメントすることなどめったにないのですが、庄司薫の名前まで出てきたので、つい投稿してしまいました。学生の頃好きで繰り返し読んだので。中村紘子さんの新聞記事を最近見て庄司薫さんのことも気になっていました。
ご存知かもしれませんが、小沢俊夫さんの本は「昔話が語る子どもの姿」(古今社刊)が読みやすいです。「子どもと昔話」に俊夫さんも牧子さん(こちらは下河辺で)連載記事を執筆しています。それらを読むとオザケンのバックグラウンドが少しわかると思います。
もちろん彼の音楽がまた聴けたらいいなと思うし、会いたいなと思うけどね。2007年のイベントから2年過ぎたので、また何か動き出すかも…。
では。
どうも。ブログ主の猫型です。
コメントありがとうございます。
そして小沢俊夫さん、牧子さん情報もありがとうございます。チェックしてみようかしら。
ぼくにとって小沢健二はほんとに特別なアーティストなので、こういう記事にコメントいただけるとうれしくなっちゃいます。
この時期ラジオで小沢健二の曲をカヴァーというと、ソウルセットとハルカリのブギーバックでしょうか。あの曲もたくさんカヴァーされて愛されていますよね。
あれから、「子どもと昔話」を10数冊図書館から借りてきて「うさぎ!」を読破。小澤俊夫さんの「日本をみつめる」牧子さんの「子どもたちのいるところ」も併せて、とても興味深く読みました。私は、彼はこうして発信しているのだから、排他的なのではないと思います。希望を持って発信していると思います。ただ、マスコミにのって商品になりたくないのではないかしら。上記の
ご両親の連載、特に牧子さんのものに時折「息子たち」が登場します。ぜひご一読を。
どうも。情報ありがとうございます。
ええと、念のため断っておきますが、「うさぎ!」も読んだし、(エントリにあるとおり)ぼくの政治的な立ち位置はむしろ小沢さんの立ち居地に近いところにおりますので、彼の運動を批判する意図はぼくにはありません。
排他的云々については、行動や意思のレイヤーではなく、構造のレイヤーについての話をここではしています。そういう意味では、彼が<主観的に>希望を持っていたり、<行動、意思の上で>排他的ではないことはここでは問題にしてないのです(むしろ小沢さんの一種純粋さを考えれば、彼が希望もなくこういう活動をするとはぼくには思えないです)。
そんなわけで、彼が切な問題意識と希望を持って活動していることには、ぼくも疑念はまったくありません。そしてそれは、フリッパーズギター時代から変わらぬ彼の「本当のこと」を求める「誠実さ」なのだと思いますし、彼の今までの軌跡(ミュージシャンになる以前も含め)を考えた場合、彼の運動はある種「当然の帰結」であるとすら思います。そしてぼくはそんな小沢さんに非常に魅力を感じています。
ただ、それと<誠実さの構造的な行き止まり>あるいは<政治における「正義」の不可能性>についてはまったく別レイヤーの話だと、ぼくは思います。このあたりの問題意識は庄司薫が持っていたものに近いと思います(誠実さの構造的な行き止まりについてはむしろ福田章二時代、というか『喪失』に、「正義の不可能性」については『赤頭巾ちゃん気をつけて』に大きく表れていると思います)。
<誠実さの構造的な行き止まり>あるいは<政治における「正義」の不可能性>についてはこの記事ではきちんと触れていないのですが、ぼくが学生の頃からずっと考えてきたテーマでもあります。そのあたりについては、はてなで書いてた日記(http://d.hatena.ne.jp/shinpei0213/ 最近は技術的な話題しか扱ってません)で昔ばらばらと言及してきましたが、こちらではほとんど言及してないです。今度エントリとしてまとめるかもしれません。