この前友達と話してたのだが、90年代の代表的な曲といったら「smells like ~」なのである。評価する、しない、あるいは好き、嫌いは置いておいて、たとえ嫌いだとしても、あるいはたとえ評価しないとしても90年代はニルヴァーナであり、ニルヴァーナと言えばsmells likeなのである。異論は認めない。
かくいう僕も、ニルヴァーナなんて別に好きじゃないんだけど(とか言いつつ高校時代はグランジっぽいバンドのドラマーだったことはちょっとした黒歴史だ。しかもバンド名がダサかった。しかしあの頃やっていたバンドのギタリストはどうしただろう。いいやつだったしギターも上手かった。)、ただ、90年代には音楽に「文脈」というものが存在した。それぞれのバンドはそれぞれの文脈を受け継いだ音楽をやっていたし、書こうと思えば「系譜図」のようなものが書けた(たとえばズボンズはコンテンポラリーなブラックミュージックを翻訳した邦楽バンドだったしね)。
ところで、90年代、日本で面白いことを言っていた人間というと、ぼくは宮台と東の二名を思い浮かべる。この二人に無理やり共通点を見つけるとすれば、それは「大きな物語」をめぐる姿勢と言う事ができる気がする。つまり、こんなこと今の批評的には常識的ではあるけれど、ゼロ年代というのは「みんなが共有している前提」というものを失った世代である、という認識だ。
90年代はまだ、みんなが共有している大きな「物語」が存在した。ありていに言えば、ぼくたちはTVにおいて同じ番組を見て、同じ音楽を聴いて(当時の音楽におけるオリコンチャートの異常さ、気持ち悪さと言ったら!)、同じTVゲームをプレイして、学校のクラスの中で「必ず共有できる話題」を持っていたのだ。
一方、2000年を過ぎたあたり、つまりゼロ年代に入ってからのぼくたちと言ったらどうだろう。ゼロ年代の音楽(あるいは芸能、ゲーム)において、「全員が共有している(と多くの人に思われている)」ものは、90年代に比べて明らかに減少している。みんなが同じ物語を共有しているという幻想(あえてここでは幻想と言い切ってしまおう)は、ゼロ年代において壊れてしまった。
あるいは、別の角度からはこういう言い方もできる、90年代、インターネットはまだ「エリート」のものだった。Windows95がリリースされた頃、ようやくインターネットは市民のものとなりつつあった。でも、その時代に自分のサイトを持っているような「インターネットオタク」は少数だった。それゆえ、自分のサイトを持っている人間同士には奇妙な連帯感が生まれ、当時サイトを開設していた人間には「相互リンク」という形で「インターネット全体」というものにアクセスできる感覚が、錯覚にしろあったことは間違いない。こういう「全体へアクセスする」という感覚。これはゼロ年代においてはなくなってしまった感覚だと思う(蛇足的に言えば、テキストサイトの隆盛はこの運動に連動しているとも言えるとぼくは思う)。
こうして見てきたように、ゼロ年代というのは、それまでの「文脈」あるいは「伝統」、ありていに言えば「大きな物語」と切り離された年代だと言うことができる(こんなこと、批評の文脈ではいまさらすぎるくらいにいまさらなことだけれど)。
と、ここまで語っておいてなんだが、さて、ここまでは長すぎる前説である。ぼくにとってのフリッパーズギター(あるいは渋谷系)について、ようやくここで語り始めよう。
前に見たように、90年代はまだ「文脈」というものに接続していた時代だった。この時代において、ポピュラーミュージックの文脈の中で「自身のバンドがどの位置に属するか」ということは、自身の音楽性のアイデンティファイにおいてかなり大きな意味を持っていた。つまり、自身の音楽性がどの「伝統」に属するものなのか。それがかなり大きなウェイトを占めていたのが90年代の邦楽だとぼくは言ってしまいたい(いまでもその「てい」のバンドは多いのだけれど。具体名は挙げないけれど)。
一方、フリッパーズギターやピチカートファイブに代表される「渋谷系」と評される音楽がどういう態度で音楽に臨んでいたかを考えると、実はこれは大変興味深いのだ。「渋谷系」の特徴のひとつとして、「既存の音楽をデータベースとして扱う」という態度がある。つまり、今まで脈々と受け継がれてきた音楽の「文脈」をフラットに再構成して、「古い音楽も新しい音楽も同等の『ライブラリ』、あるいは『音ネタ』として扱う」という態度だ。伝統や「物語」なんて関係なく、既存の音楽を「データベース」として引用し、文脈とは無関係に再構築する。そういう態度が「渋谷系」には存在していた。
「文脈」や「歴史」を無化し、あらゆるアーカイヴを並列に扱う姿勢。これってまさに、ゼロ年代的な姿勢と言ってもいいとぼくは思っている。そういう意味で、フリッパーズギターやピチカートファイブは「早すぎた才能」として生まれてしまったユニットなのではないかと、ぼくは思っている。
久々のエントリは、以上のようなお話でした。とっぺんぱりのぷう。
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