と、いきなり酷いタイトルですがまじめなエントリです。ところで世間は夏コミですね。ぼくは発熱してて行けません。
さて、近所のGEOが旧作DVD100円セールをやっているので、最近は気になっていたアニメを借りまくっています。で、ぼくのtwitterをfollowしている人は知っているかもしれませんが、その中でもぼくが今ハマりすぎなのが「しゅごキャラ!」というアニメでございます。そんなわけで、今日は「しゅごキャラ!」について。
どんな作品なのかはとりあえずWikipedia参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%94%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9!
ひとことで言うと、「ほんとの自分」とか「なりたい自分」を探す物語で、つまり古今東西いろんなメディアで繰り返されてきた、「自分のアイデンティティを探しながら成長していく物語」です。主人公のあむちゃんがかわいすぎて、コミックスを大人買いしました。アニメはまだ見てる途中。
ところで、この作品、登場する主要キャラクター全員(「敵」側にも)に、自分のアイデンティティをめぐる物語がきちんと用意されていて、大人が読んでも結構面白い作品だと思うのですが、世間的には小学生くらいの女子と、いわゆる「大きなお友達」向けの作品として認知されてますね。とても残念。まぁ「大きなお友達」であるところのぼくがこんなこと言ってもなんも説得力ないんですけど。
そんな面白い「しゅごキャラ!」なんですが、正直言ってちょっと残念な部分がある。で、その部分を語る前にふたつのエントリを読んでください。
ぼくは女性でもなければクィアでもない、「ストレートの男性」である以上、801をめぐるいわゆる「腐女子」のアイデンティティについて語る資格をそもそも持たないし、いわゆる「腐女子」ひとりひとりにはひとりひとりの物語、個人史があり、ひとりひとりがそれぞれのアイデンティティをめぐる物語の「主人公」であるということを前提に、それでも、自分のアイデンティティと、ジェンダー的な意味での「女性性」の間のギャップから、801を「必要とする」女性が少なくない数いるのではないか、と最近ぼくは思うようになった。
で、しゅごキャラ!である。以下ネタバレ注意。物語がクライマックスを迎える8,9巻あたりで、あむちゃんが自身のアイデンティティをめぐる葛藤の答えを出していくんだけど、その答えが結局のところ「女の子であること」に回収されちゃってるんです。「男の子がいろんな『ゆずれないもの』のために戦ってぼろぼろになるなら、女の子であるあたしはせめてそれを抱きしめてあげたい。それがあたしのこたえ」って、エー! みたいな。いや、それはそれで魅力的なお話なんですよ。ベタだし、鉄板だし、やっぱり美しいし、燃えるし。でもさ、せっかく「ひとりひとりにアイデンティティをめぐる物語があって、その物語、つまり個人史においてはひとりひとりが主人公であって、ひとりひとりに別の悩みがあって、答えがある」って物語を書いてたのに、結局あむちゃんのアイデンティティは女性性に回収されるんですか! みたいな、ガッカリ感。
自分のアイデンティティが自分の性に立脚することっていうのは、決して悪いことではない、とぼくは思う。のだけれど、自分のアイデンティティと男性性/女性性の間にギャップを感じないですむということは、「幸運なこと」なのだということはあると思う。そういう意味で、あむちゃんは幸運な主人公だ。
でもさー、せっかく「なりたい/ほんとうのあたし」と「外から見たあたし」っていうテーマを扱ってるのに、その答えが単純な女性性に回収されちゃうって、もったいなくないか? 女性性に回収しなければ、もっと広がりと奥行きのある物語になるのに。あるいはこれが「メジャー少女漫画」の限界なのか?
と、ジェンダー的な視点から見ると結構残念な感じになっちゃうんですけど、「なりたい/ほんとうの自分」ってのが明示的に「キャラ」として表象されて、それが違和感なく多くの人に受け入れられているということには象徴的な意味を見出すことが可能だし、面白いですよ、しゅごキャラ!。
と、まぁくどくどといろいろ書いてきましたが、そんなことはあむちゃんがかわいいという絶対的な真理の前にはどうでもいいことなのです。風呂上りパジャマのあむちゃんにひざまくらされたい。
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