2009年9月アーカイブ

ええと、いまさらですがライブ告知します。

来る10/17(土)、高円寺はペンギンハウスというライブハウスでわたしがやっているバンド「数値海岸」のライブを行います。オープン19時、スタート19:30。チャージは\1800です。数値海岸の出順はトリなので21時以降の出演になります。高円寺駅から歩いてすぐのお店です。

ライブハウスはいかにも「ライブハウス!」という感じではなくて、椅子と机が出た状態でお酒を飲みながらゆったり見れる感じのお店でございます。お暇な方はぜひいらしておくんなまし。よろしくおねがいします。

先に言っとく。ひとことじゃない。長い。そして久々のエントリがこれだよ...。

さて。話題のラブプラスについて。「少子化が進む」「コナミのせいで日本がヤバイ」ともっぱらの評判のラブプラスですが、ご多分に漏れずぼくもプレイしております(もちろんきちんと本名プレイです)。リンコとデートを重ね、「今日のリンコはねこリンコだよ」の破壊力に鼻血を出しそうになったりする日々、みなさんいかがお過ごしでしょうか。今日のエントリはいつもに増して長いよ。でも冷静に書いたからそんなに気持ち悪くないと思うよ。

さて、このゲーム、第一印象としては「よく作りこまれた良作だなー」という感じでした。まずは徹底したキャラクタの作りこみについては素直にスゲーと言っておきたいです。

このゲームのキャラクタはかなり意図的に「二次臭さ」が脱臭されています。どういうことかと言うと、多くのいわゆる「萌えコンテンツ」のキャラクタは、「萌えコンテンツ界の記号の集合」のようなものです。「ツンデレ」だとか「無口」だとか「元気っ子」だとか、そういういわゆる「テンプレ」の集合体。もちろん、その集合体からはみ出る「何か」を持たないキャラにはあまり魅力はなく、いわゆる「萌えキャラ」も単なる記号の集合体ではないのですが、少なくともハマるための「フック」としては、そういう記号が大きい役割を果たしています。

一方ラブプラスがどうかと言うと、そういう「萌えのテンプレ」というよりもむしろ、「現実の記号」をうまく使っていると感じます。ぼくはゲーム内ではリンコに操を立てているので(キモい)、寧々さんやら愛花やらのことはよく知りませんが、リンコのキャラクタ性はむしろ、「ライ麦を読んでる」「ブリティッシュロック好き」「体育祭やら文化祭が嫌い」「うるさい人が嫌い」「恋愛小説が嫌い」「友達がいない」など、現実的な記号で語られます(しかしこのキャラクタ性、モロにぼくがターゲットである。コナミめ!)。しかもそれが「設定」として語られるわけではなく、彼女との会話やメールの中でその「性格(キャラクタ)」が明かされていくという仕組み。

キャラクターデザインも、昨今のラノベ、アニメ、マンガと比べるとどちらかというとリアル志向で(髪の色も全ヒロイン黒髪だしね)、モーションと声も相当「リアルにかわいい」を追及しています(もちろん、ラブプラスのほかにも「リアル志向」な作品は存在するんだけど、ラブプラスはその作りこみ方がハンパない)。

そんな風に、ある種の昨今のキャラクタが「二次元方向へかわいい」を追及した結果リアルとの乖離が激しくなる一方、ラブプラスのキャラクタはあくまで「三次元方向へかわいい」を追及したキャラクタだと思います(え? ぼく? ぼくはどっちのキャラも好きですよ)。そういうわけだから、「ラブプラスは浮気」みたいな悲劇(?)が生まれるのかもしれません。また、そういう意味では、もしかしたらいわゆる萌え文化にどっぷりなひとよりも、あまり萌え文化に漬かっていないひとのほうがこのゲームにハマるかもしれない。そのあたりはさすが「ときメモ」をヒットさせたコナミという感じがしますね。

さて、ここからが本題です(えっ。まだ語るの?)。

先ほど「よくできた良作というのが第一印象」と言いましたが、同時に感じた印象として、「あ、これはマズいな」という印象もありました。一言で言うと、ラディカルなフェミニズムの立場からはかなり批判の対象になるんじゃないかな、と直感的に思ったわけです。プレイを進めて、その直感は正しかったな、と思っています。

このゲーム、「女の子を自分の理想通りに染め上げるゲーム」という一面があるんですね。三次元方向にかわいい女の子を、自分の好きなように染め上げる、ある種の支配欲を充足するゲームです。それも、キャラクタは自ら望んで「ぼくのかんがえたすごいおんなのこ」像に寄り添っていく。「支配する男/支配される女」という図式を内面化したヒロインを、何の障害もなく支配できる。ジェンダーロールというのが社会的に作られるというのは、ドラマや小説、あるいはゲームや漫画などから受けた影響でジェンダーロールが決まっていくという部分もあるわけで、その意味でこの作品が「男/女」「支配/被支配」の構造を補強、再生産するものであるといわれても反論できないと思います。

さらに始末が悪いと思うのが、こういう支配/被支配の関係を、「恋愛」という要素でパッケージしてしまっているところです。支配欲やら権力性というものが、恋愛というパッケージで隠ぺいされる。その構造はやっぱり批判されてしかるべきだと思います。権力構造の隠ぺいは、一時期話題になったレイプゲームなんかよりもよほど強く権力構造を強化、再生産します。そういう意味で、そんじょそこらの凌辱系エロゲなんかよりもフェミニズムの槍玉にあがってもおかしくない作品だと思います。

ただ、だからと言ってこのゲームを規制したほうがいい、だとか、質(しつ)の悪いゲームだとか、そういう方向に話を持っていく気はサラサラないですし、そういう方向に話を持っていく人がいたらぼくは抵抗します。

ゲームに限らず、あらゆるコンテンツは「欲望充足メディア」として機能する部分があり、ラブプラスは「欲望充足メディア」として非常に完成されたゲームです。そういう意味ではかなり優れた作品だと思う。そして何より重要なことに、ラブプラスの中の女の子に対して権力や欲望をぶつけたとしても、相手は創作物です。いくらリンコがよくできていて、まるでそこに人格が存在するかのように見えても、そこに人格はありません。そうである以上、ラブプラスをプレイすること自体を裁くのは「欲望を裁くことだ」と言っていいと思います。その上で、ぼくたちは決してだれかの欲望を裁くことはできない。ぼくたちには内面の自由ってのが保障されているんだし。もちろん、こういう支配欲求を現実の人間に対して向けた場合(そしてそこに権力構造が見て取れる場合)は強く批判されるべきだし、場合によっては罰せられるべきだと思うけれど。

  • ラブプラスにハマる人間の欲望は認める
  • ただし、それを現実に持ち込むことは規制する
  • その欲望、欲求が現実ではある種の「権力構造を生む」ということはどんどん「啓蒙」する(「啓蒙」とは厭な言葉だけれど)

ってのが「正しいあり方」なんじゃないかな、と思うのです。というわけで、まとめます。

  • ラブプラスは欲望充足メディアとして非常によくできたゲーム
  • ただ、その構造は既存のジェンダーバイアスを強化、再生産しうる点で批判に値する
  • けど、欲望を裁くことはできないので、ゲームそのものをやめさせたり「禁書」にしたりってのはちょっと違うよね
  • 表現のレベルでの問題は社会のレベルじゃなくて表現のレベルで批判するのがいいと思う

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都内在住プログラマ。男子。

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