というわけで(どういうわけだ)最近きづきあきら+サトウナンキづいています。
先日は「いちごの学校」に言及したわけですが、きづきあきらに言及するなら「ヨイコノミライ」は避けて通れないだろ、という声が聞こえるんです。自分の頭から。そんなわけで、「ヨイコノミライ」についても書いておく。またもネタバレ気にせず書くので、ネタバレが嫌なひとは以下読まないほうがいいと思います。
とは言え、正直ぼくは「ヨイコノミライ」についてはあまり語ることができない。というか、直視することが辛いのですよ。よく「ヨイコノミライ」のレビューでは「痛い」だとか、「身に覚えのある痛さがいたたまれない」とか、「オタクならば通ってきた道が描かれてる」みたいなことが書かれているのだけれど、なんかもうぼくにとってはそういうもんじゃないんだよ。登場するオタクたちが抱えている問題は未だにぼくが抱え続けているメンタリティで、とてもじゃないけど「あー、痛いよねー」って客観視するなんてできない。目が滑って読めない。まあそういうマンガ。だからぼくは「痛いオタク」あるいは「オタクの痛さ」みたいな視点についてはちょっと沈黙させてもらう。そこについてはまったく冷静でいられないから。
じゃあ何について話そうかといったら、それはヒロイン(まあぼくの中ではヒロインは桂坂さん一択なんですけどね!)の青木杏さんで、このひとはいわば作品中で「トリックスター」の役割を果たしているのだけれど、その役割ゆえか、あまり彼女にフォーカスした感想って見ないんですよね。今回は彼女にフォーカスした感想を。普段ポストイット張りながら漫画読んだりしないんだけど、今回このエントリ書くためにポストイット使って読んでしまったよ。
さっきも書いたけど、青木さんは「トリックスター」で、「ぬるま湯」に浸かってたオタクたちを引っ掻きまわして「夢潰し」をして「ぬるま湯」をぶっ壊す(それにより、各オタクたちも変化を余儀なくされる)のだれけど、その動機に触れてる感想をぼくはあまり見ない(まあ、オタクたちのエピソードの印象が強すぎるので、青木さんはある意味目立たないのだ。だからしょうがないと言えばしょうがない)。
でもさ、いくら「あいつらムカつくなー」「ぬるいなー」と思っても、わざわざそいつら「つぶしにいく」って、相当ぶっとんだ思考だよ? そこには「むかつく」なんてもんじゃなくて、もっと強い動機があってもおかしくないはず(という考え方自体が非常に合目的的というか、近代的で「物語論」的な考え方、読み方ではあるけれど、ここではそれは措く)。というわけで、このエントリでは「トリックスター」という「役割としての青木さん」ではなくて、「いち個人としての青木さん」の気持ちを軸に「ヨイコノミライ」を読みます。
まず押さえておきたいのが、青木さんの設定。Wikipediaが結構よくまとまってるので引用します。
普段学校に来ない「保健室の姫」といわれている少女。実は漫画編集者の父親の命令で漫画を描いて新人賞の賞金稼ぎをしており、それゆえ漫画を嫌い、口ばかりのオタク揃いの漫研を「ゴミのようなただの『消費者』」と見下し、その崩壊を進める為に漫研による同人誌作成を発案し、裏で彼らをぶつけて暗躍する。
まあこうやってみると結構トンデモな設定ですよねやっぱり。いくら親に無理やりマンガ書かされてる(これも結構トンデモ...ってわけでもないか。音楽とかではよくある話だし)からって、わざわざ漫研つぶす必要はないだろ、っていう。
では彼女はなぜそんな「夢つぶし」みたいなことを「趣味」にしてるのか。あるいは彼らをつぶすことで何を思うのか。
実は青木さん、物語の中でたまに本音や迷いのようなものを口にします。たとえば過去の漫研の部誌を(勝手に)焼却炉に持っていくシーン。
青木:「...先生?...なんで人間は、もう何の意味も持たないものまでしつこく取っておきたがるんでしょうね?」
先生:「意味...か。そうだな、モノの価値っていうのは使用価値だけじゃないんだ。具体的に役に立つものじゃなくても記憶や知識から価値を見出すことがあるんだよ。爪切りと家族の写真の価値ってのは違うところにあると思わんか?」
青木:「......そうですか。でも先生、そうしたら、必要としてくれる人間を失ったモノは......誰にも知られず顧みられることもなく、ただそこに『在る』だけになったモノは......ただの、ゴミですよね......」
あるいは部長に「好きだからもっといろいろわかりあいたい」と言われるシーン。「好きなら...何もかも話せば全部受け入れて、そんなことで他人と......私と理解しあえるの?」
あとこんな独白も。「やっぱり、私の思った通り、なの...?夢は、人が実力を知るまでの妄想で、身の程を知れば打ち砕かれて、それで終わり、...なの...?」
あと、ぼくにとってのヒロインの桂坂さんが「デモンストレーション」としてのリスカではなくてマジのリスカをしたときの独白。「...手首じゃなくて、...ちゃんと自分と、たたかってくださいよ、先輩......」。
あるいは、稚拙な部誌が出来上がって「無駄だったんだ、こんなこともうやめよう、当分部も休みにしよう」と部長が言っているシーンのセリフ。「......いいえ。私たちが息の根止めた、みんなの夢、最後まで、見届けてあげなさい...」。
と、こういうやって見ていくと、彼女がわざわざ「夢つぶし」をしていく後ろに、なんだかすごい「飢え」を感じませんか? 「むかつくからつぶす」ってことじゃ、こんなせりふは出てこないでしょう。月並みな言い方だけど、彼女は、「つぶしてもつぶれない何か」を知るために、いろんなものをつぶしている、そういう風にも見えてくる。
「ほんとのことが知りたくて嘘っぱちの中旅に出る」と歌ったのはフリッパーズギターで、彼らもどこかにある「ほんとのこと」を求めて「こんなの全部うそっぱちだ!」といろんな「インチキ」を暴いていった。あるいは、しりあがり寿。しりあがり寿が2005年に出した自選短編集「のっぴょぴょ~」(ひどいタイトルだ...)のあとがきで素敵なことを言っている。これも引用する。
パロディーを通じて、恐怖を歴史をロマンを愛を、作品そのものではなく、その背後にある、人がバクゼンと信じてうたがわないものを笑いたかった。おおよそ、全てのものは裸の王様であると信じていた。この世に笑えないものなどない、とばかりに全てのモノを笑って笑って笑いつくしたかった。......でも今ふりかえってみると、結局ボクらがあんなに笑いにこだわったのは、「それでも笑えないなにか」をみつけるためだったかもしれない。ハダカでない王様。ウンチの山の中のダイヤモンド。本当に大切なモノをみつけるために、誰かとどこから笑おうとしても笑えないなにかを見つけるために、くだらないものをのけるために、手当たり次第に笑っていたんだと思う。
上に見たフリッパーズやしりあがり寿と似たような「飢え」を、ぼくは青木杏から感じ取ってしまう。彼女はただのトリックスターじゃない。「トリックスターが壊せない何か」をひたすらに探して、その中で自分も傷ついている、という人間に見える。「ほんとのことが知りたくて 嘘っぱちの中旅」をしている彼女も、嘘っぱちによって傷ついているように見える。
ね? 青木さんはただの「悪意の塊」じゃなくて、ある意味すごくさびしくて傷ついている「ひとりの人間」なんだって、わかるでしょ?
ぼくはきづきあきら(+サトウナンキ)の本は、「ヨイコノミライ」と「モン・スール(再編集版のやつ)」と「増殖フェティシズム(再録本のやつ)」と「いちごの学校」と「エビスさんとホテイさん(これはつぼみで連載中)」と「うそつきパラドクス(YAで連載中。単行本で読んでる)」しか読んでないのだけれど、こういう「ほんとのことが知りたくて嘘っぱちの中旅に出る」感覚は、形を変えながら一貫してきづき作品に流れているようにぼくは感じる(「ほんとの関係」とか、いろいろとね)。そして、結局「ホントのこと」ってのが最終的に見つかって「めでたしめでたし」とはならず、それでもどこかその救いのない中にこそ救いがある、的な。うまく言えないけど、そんな感じ。そしてこれは「THE END OF EVANGELION」以来、フィクションと現実の中でぼくがずーっと付きまとわれているテーマでもある。
なんかまとまりない感想になっちゃったな。まあ、それでも一応。そんな感じ。自分にホントに突き刺さる部分を避けての感想エントリでした。
喧嘩売るわけじゃないけど、結局君は
「萌えを否定する女の子萌え」な萌え萌え漫画
が好きということでよろしいか。
だいたいあってる。
「も」好きってほうが正しいかも。
There is obviously a lot to know about this. I think you made some good points in the Features also.