最近webが(というかぼくの観測範囲が)性犯罪に対する自衛がらみで盛り上がってる。簡単にまとめると、「最近のおなごはミニスカートとか履いてるし暗い道を平気でひとりで歩くし、これじゃ犯されたって文句言えないわよ!」みたいな、ちょっと何をいってるのかわからないですねって人の意見を発端に、いろんなひとが「いやいや、それおかしいだろ」って言ったり「これおかしいとか言ってるけど、自衛を説くことのなにがいけないの」みたいな話になってる。
正直この話については、被害者のみが「夜道を出歩くな」だとか「ミニスカート履くな」というように行動を制限され、加害者の行為は「なくせない」と「容認」されるその非対称性、おかしいよねってことでFAなので、これがわからないひとは本当に頭が悪いとしか言いようがない。
これ、ほんと単純な話だよ。「性犯罪が存在する→その被害者(になりうるひと)の行動を制限しましょう」って、おかしいでしょ? 制限されるべきは加害者の行動の方なはずでしょ本来は。まさか「他人を強姦する自由は制限されるべきではない」なんてことを言いますまい?
たまに「鍵をかけないとかアホすぎるって話だろ」みたいなこと言うけど、それとこれとは話が違うの。家に鍵をかけることによって鍵をかけた人の何が制限されるの? むしろ適切なたとえとしては、「店頭に商品を陳列していると万引きにあう可能性があるので、コンビニは商品を陳列しないようにすべき」とか、「商品を魅力的に見せるようなCMを流すとその商品は万引きにあう可能性があるので、CMは自粛すべき」とかそういう話なの(例に商品を使ったけど、べつにこれ「女性は商品である」という主張じゃないからね。念のため)。これならトンデモっぷりがよくわかるでしょ。だれも「鍵かけるな」なんて言ってなくて、「いやいや、普通に生活を営ませてくださいよ」って言ってるの。
働いてたら、帰りに夜道を一人で歩くことをやめることはできないし(中高生だって部活終わって帰る時間とか、今の季節だったら真っ暗だよもう)、服装くらい自由にさせろよ。
自衛するに越したことはないってのはそのとおりだけど、「行動を制限しろ」ってのは自衛じゃなくて「抑圧」っていうの。わかるかなこの違い。
で、こういうこと言うと「じゃあ男の行動が制限されるのはいいんですか?ダブルスタンダードだ!」みたいなことを言うやつが出てくるけど、もういい加減にしろよ。「男の行動」を制限しろなんていってないの。「加害する権利なんてものは最初から存在しない」って言ってるの。
何度も言うけど、これってほんとにシンプルな話で、加害者と被害者がいるときに、加害者の行為は「そこにあるもの」として容認されて(男はケモノだから、とか、性犯罪をなくすことはできないからそれは「そこにあるもの」として考えなきゃならないとか)、被害者の行動は「制限されるべきもの」であるって認識はどー考えたっておかしいでしょって話なの。男の権利だとか女の権利とかそういうレベルの話じゃなくて、「加害する自由」と「被害者が自由に日常生活を送ること」、制限されるべきはどっち?って話。ていうかそもそも最初から「加害する自由」なんてないんだけどさ。
だれも「自衛は大切である」ってことに対して「いや、大切じゃないよ」なんて言ってないの。「『あえて』『ことさらに』自衛しろと『説くこと』」が抑圧になってるって話なの。
webで性犯罪の自衛について説いてるひとは、もういい加減それを自分の恋人や娘にではなく「webで」「不特定多数に」「規範として」表明していることの意味にそろそろ気づこうよ。
以下12/11追記。
かなり誤解を生む表現になっているので。一部削除しました(delしてます)。最後の段落については、このような「規範」を公的に発言することは、私的な領域での抑圧を構造的に強化しているよね、それはまずいよねって趣旨です。当然ぼくは恋人や娘に対して「スカート履くな」だの「夜一人で出歩くな」だの言うことは(私的領域での)抑圧だと思っています。
ちなみに、恥を忍んで自分の欲望について告白しておけば、ぼくはどちらかというと恋人に対して抑圧的にふるまいがちです。そのたびに自分の欲望については客観視しようとしているのですが、完全になくすことはできていません(完全になくすことができている人なんているのだろうか...?)。
ただ、ぼくはいつも自分の恋人との間になにか問題が起こったときには、きちんとコミュニケーションをして、二者間の問題として毎回なるべくどちらかが抑圧されないように解決をはかっていて、そういう意味で「二者間の抑圧の問題は *その二者間によって* 双方が合意できる状態にもっていくことができる」と考えています。構造的な問題も、二者間の問題になったときには「その二者間特有の問題」となり、「その二者間特有の解決方法」で解決できる、とは認識しています(もちろん、そのためにはその背後にどういう「権力関係があるのか」に自覚的になる必要がありますが)。
ただ、そういう認識が、私的関係での抑圧があたかも問題でないかのようにとらえられる言葉に結びついたところに、ぼく自身がぼくの私的関係において「構造的な抑圧」の抑圧者であるということから逃げたい気持ちが働いていないと言えばたぶん嘘になるでしょう。そういう意味で、今回のエントリはぼくの「相手を支配したい」という欲望に気づかされるエントリとなりました。
>webで性犯罪の自衛について説いてるひとは、もういい加減それを自分の恋人や娘にではなく「webで」「不特定多数に」「規範として」表明していることの意味にそろそろ気づこうよ。
そういうひとたちは「一般論として説いているのに、自分に向けられたと勘違いして文句付けてくるやつがいてウザい」とか言うよね。何者にも宛てない言論というものは果たして可能なのだろうか。
有村さん
どうも。返信が遅くなってしまって申し訳ないです。最近友人の結婚式などで忙しかったゆえ…。
「一般論」で説くということが「全員に対して向けた言論になっている」ということは理解してもらえないんでしょうかね…。だとしたらちょっとあまりの「すれ違い」にめまいがしてきます…。