他人の気持ちを代弁するのはある意味詐欺だという話

タイトルはちょっと煽り。他人の気持ちを勝手に代弁するな、という話から、セクシャル・ハラスメントとか、性暴力におけるセカンド・レイプの話に持って行けたらいいな、と思っている。


*ぼくらは人の気持ちを理解できない

ぼくたちは、人の気持ちが理解できない。これはじつは、いたって当然のことだ。でもこの当然のことさえもぼくらはなかなかわかり合えなかったりする。伊藤剛がtwitterでつぶやいていた(とぼくは記憶している)通り、フリッパーズギターの名フレーズ「わかりあえやしないってことだけをわかり合う」ことさえも難しいからこそ、あのフレーズは「甘美」なのだろう。あるいは、ぼくたちはわかりあえないからこそ、「人類補完計画」は進められた(いや、たしかにアニメの話だけどさ)。ぼくたちは相手の「真意」など、絶対に理解できない。たとえ相手と心が通じた、と思ったとしても、それはある種の「まやかし」でしかない。もちろん、それが悪いことだとぼくは少しも思っていない。そうではなくて、これは出発点でしかないのだろう。((このあたりの話は、早稲田文学U30で坂上秋成が「捏造の技法」というエッセイ(あれはエッセイとして読むのが正しい、でしょう)でとても丁寧に書いていたりする。))


*他人の気持ちを「解る」と思うほうがむしろ失礼なのではないか

ぼくはさっき、「人の真意など絶対に理解できないけど、それは別に悪いことではなくてそれが出発点なのだ」と言ったけれど、これを出発点としたとき、むしろ「解ると思う」ことのほうがトラブルを起こすのではないか。今度はラノベからの引用になるけれど、これを明示した例としてはたぶん「とらドラ!」の大河が挙げられるだろう。彼女が3巻で言うには「気に食わないのは、あんたが、私の内心を、勝手な妄想で決め付けたってところよ。穢した、ってことよ」。すごい。言い尽くされている。つまり、ぼくたちは相手の気持ち、真意をわかりあえない。だから、「相手がこう思っているに違ない」と、「妄想で決めつけ」て(というのもあまりにキツい言い方だと思うけどね)しまうというのは、相手の不可侵(不可知である、というのは不可侵であることの別の側面だろう)であるはずの内面を「犯して」「汚している」ことになりうる。

もちろん、これは「なりうる」だけであって、「かならずそうなる」わけではない。まるで小学校の道徳のような話だけど、「相手の気持ちを思いやる」ということは、大切なことだ。ただ、それは「ぼくが思う相手のきもち」であって、「相手の気持ちそのもの」ではない、ということを忘れると大変だよ、ということ。


*自分の欲求を他者の気持ちを借りて語る、ということ

では翻って。たまに見かける「彼/彼女は傷ついている(嫌な思いをしている)から、配慮してあげて」という話法について。

ここで「彼/彼女は傷ついている」と考えているのは、だれか。もちろん、発言者だ。そして、「彼/彼女は配慮してほしいと思っている」と考えているのも、発言者だ。

「【私は】彼/彼女が傷ついていると思う」「彼/彼女は配慮してほしいはずだと【私が思っている】」にも関わらず、この発言には「私がそう思っている」というメッセージがどこにも乗っていない。この発言においては「配慮してほしい」という欲求の担い手が発言者から「彼/彼女」へと委譲されている。ここには一種のごまかしが潜んでいる。

たぶん、本来ならはこうなのだろう。「彼/彼女は傷ついている(嫌な思いをしている)ように私は思う。私はそれが不快なので、あなたに配慮してほしいと思っている」。その状況を不快に思っているのは、「彼/彼女」ではなく、「私」である、ということ。配慮して欲しいと思っているのは、「彼/彼女」ではなく「私」である、ということ。自分の欲求を他者に仮託して語る、というのは、(仮託である時点で当然だが)やはり欺瞞だろう。

ぼくたちは、他人の気持ちや真意なんて絶対に理解できない。だから、彼/彼女が本当はどう思っているかなんて、絶対に解らない。だから、「彼/彼女は傷ついているから配慮してくれ」という話法はそもそも「成り立たない」のだ。


*次回予告

さて、ここまでが前置きで、ようやく本題のセクシャル・ハラスメントやセカンド・レイプの話につながるのだけれど、長くなったので続きは次回。次回は「被害者は傷ついています!」という「話法」を批判しつつも、それでもセクシャル・ハラスメントやセカンド・レイプが許されない理由というものに踏み込んでいきたい。

次回予告的に少しだけ、今回の話と重複する論点を先取りしておくと、「被害者は傷ついています!セクハラをやめてください!」と第三者が発言すること自体が、上に見たように「成り立たない」話法であり、それどころか他人の真意を「妄想で決めつけて」、当事者の語りを先取りすることで、当事者に沈黙を強いることになり得る、ということです。「傷ついている、やめてくれ」という告発は原理的に当事者が主語であることしかできない。勝手に代弁して勝手にやめてくれ、ということはできない。そういうことです。

で、次回の主軸は「だからこそハラスメントやセカンドレイプは批判しなきゃいけない」という話になります。乞うご期待。だれも期待しないかもだけど。

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都内在住プログラマ。男子。

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